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インストラクターになった理由!

こんにちは。本日は担当miwa でございます。

硬い内容のブログではつまらないので・・・今日は私がインストラクターになった話をしてみたいと思います。全然役に立たないお話ですが・・

中学・高校と陸上部で中長距離の選手でした。高校一年生のある日、とにかく腰が痛くて歩けないし立てない・・・近所の病院で診てもらっても「安静に」とシップをもらって帰るだけ。そんな私に顧問の先生が「ここの病院に行ってみたら」と勧められた病院はスポーツドクターがいて、体育大学出身のトレーナーさんや理学療法士さんがたくさんいる病院でした。

当時の近鉄バファローズの有名な選手がいたりして・・・病院というより、そこはもうフィットネスクラブのようなアクティブな環境でした。病院なのに、トレーニングしてる!その様子はもう圧巻でした。

私は最初体力測定をしたんです。長座位前屈と、背筋力測定。ところがこれがまったく測れないくらいの重症化で・・・そして、スポーツドクターに診てもらい、駅伝の時期には走れるように。安静中のストレッチをトレーナさんに指導してもらい、病院にも通いました。その時に「こういうところで働きたい!」と強く思い、体育専門学校へ進学しました。

そして就職が決まらない2年の夏に学校から勧められたアルバイト先は、ある自治体が運営するスポーツ施設。そこでエアロビクスのレッスンを見ることになりました。

「フィットネスクラブで社員になるなら、なんかレッスンってできたほうがいいんやろなあ」くらいだったんです。

でも、あるインストラクターの方の動き・身のこなし(おんなじ内容か(笑))ずーーーっとスタジオを見ている自分がいました。「エアロビクスってどうしたら教えられるようになるんですか」とかいきなり聞きに行ったんだと思います。わお積極的。「水曜日の朝、ここにレッスンに来てる尾陰先生が4月から養成コースをするって聞いたから、行ってみたら?」な、お返事。水曜日、レッスンを終えた先生に声をかけ、養成コースの申込をしたんだと思います・・・

そして4月から6月の3か月間。

一生のうちで一番長い忘れられない3か月間を過ごすことになりました(笑)

この3ヶ月、本当に本当に尾陰先生にはお世話になりました。

養成コースは週3回。最初一時間は講義です。残り時間はひたすら踊る。腹筋などのトレーニングもした記憶があります。声の出し方の練習。音楽はカセットテープ。ダビングして自分で作るんです(懐かしい・・・)

このときの尾陰先生は、厳しかったです(笑)先生も忙しく養成コースはあと2名の先生にお世話になりましたが、今思えばどの先生も厳しかったです( ;∀;)

私は本当に出来が悪かったので、泣きながら踊ったこともありました。行きたくないーと落ち込んだこともあったと思います。頑張れたのは、その時の養成コース仲間と怖かったけど、話を聞いてくださる先生方。そして休まずに3ヶ月を過ごすことができました。今でもあの3ヶ月は忘れることができないです。

もうあれからずいぶん年月は経ってしまいましたが、このころを忘れず日々頑張っていきたいなと思います☆

 

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